2000年5月作成(適宜更新)
自分の頭の整理のためつくってみました。ほとんど参考資料そのまんまです。間違いをみつけたり新しいことがわかったら適時、手を入れます。
参考にした資料----測量地図百年史 国土地理院監修 昭和45年 / 日本地図測量小史 高木菊三郎 昭和6年 /地図と測量のQ&A 日本地図センター 平成9年
年号 |
部署 |
できごと |
関連(基準点等) |
文化・文政年間 | 伊能忠敬の全国測量 | 陸地測量部二十万図のもととなる | |
天保年間 | 徳川幕府 | 天保図の作成 | |
明治2年(1889) | 民部省戸籍地図掛 | 課税対策のため地籍測量を担当 |
大蔵省の管轄にもなるなど作成目的により管轄が変わるタテワリ行政だった 林務関係の部署でも境界画定のための測量をしていたらしい。その名残が主三角点か? |
明治4年 | 工部省 | 組織改編で地図、測量担当になる 英国人の指導下三角測量を実施 | |
兵部省参謀局 | 「間諜隊」を設置し軍用地図の測量・作成に向けて準備をはじめる | 陸地測量部の前身 | |
明治7年 | 内務省地理寮 | 工部省の業務を引き継ぐ | |
明治8年 | 同 | 関八州大三角測量を実施 |
このとき前後に設置された 地理寮測点 (国土地理院前庭で撮影) |
明治10年(1877) |
地理寮から「地理局」へ改称 |
地籍調査のための測量開始 このころ標石の規格が決まる |
地理局設置三角点の一例(雲取山原三角点)
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明治11年 | 同 | 那須野基線測量(日本初の本格的基線測量)実施 全国の三角測量に着手 | 基線南端から東京麻布経緯度原点間で電信測量 |
陸軍参謀本部 |
組織改編により測量部地図課・測量課設置 測量課長小菅智淵が全国測量計画を参謀本部・山県有朋に具申、「迅速地図」による伊能図以来の本格地図作成と三角測量の遠大な計画が実行に移される |
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明治14年 | 陸軍 |
東京湾で実験・検算のため三角測量を実施 千葉県鹿野山の緯度、方位角を決定 地理局設置の三角点を生かし、陸軍では主に2等以下の三角点を設置する方針に |
電信測量による長崎-横浜間の経度差測定 |
明治15年(1882) | 地理局 | 江戸城旧本丸天守台に独自の経緯度原点を設定 | 普仏戦争でドイツ(プロイセン)勝利 |
陸軍 | 相模野基線測量 ドイツの測量技法、図式を取り入れる | ||
明治16年 | 陸軍 | 三方原基線測量 三角点・水準点様式制定 | |
明治17年 | 陸軍 |
麻布天文台−鹿野山−筑波山の角度を測定 行政改革により測量を陸軍が担当、内務省は地誌作成に |
万国会議でメートル原器制定、日本も採用 |
明治18年 | 陸軍 | 響庭野基線測量 | |
明治21年 |
陸軍 |
測量部から「陸地測量部」に改称 | |
明治23年(1890) | 陸地測量部 | 陸地測量標条例で1等三角点標石を制定、永久標石としての安定のため下方盤石をおくことなどを法定化 | 現在と異なり、4等三角点は杭のみの仮標扱いだった |
明治24年 | 同 | 参謀本部前庭に水準原点完成(現・憲政記念館中庭) | |
明治28年 | 同 | 三等三角点を正式に制定 | |
明治29年 | 同 | 三角点の材質を花崗岩に統一 | それまでは現地調達が原則だった |
明治30年(1897) | 同 | 台湾で測量開始 | |
明治35年(1902) | 同 | 北海道で測量開始 東京の三角測量完成 | |
明治38年 | 同 | 日露戦争終結によりロシアとの国境画定事業に取り組む | 神宮外苑の絵画館に記念碑あり |
明治39年 | 同 | 沖縄の測量開始 | |
明治40年 | 同 |
韓国の測量開始 北海道夕張岳に「北部原点」設置 柴崎芳太郎、剣岳で4等三角測量 |
日韓併合 |
明治41年 | 同 | 測量作業で測点間の通信に用いる回光信号をモールス式にし伝達精度、能率アップ | |
明治44年(1911) | 同 |
沖縄で基線測量 北海道庁の要請で「小三角点」36点を設置 陸地測量部・北海道庁の両名が併記されたもの。「準三等三角点」というのもあった。 |
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年号 |
部署 |
できごと |
関連(基準点等) |
大正6年 | 陸地測量部 | 大正6年図式制定(現在の5万図等のもと) | ウラジオストックのデータをもとに経度補正 |
大正9年(1920) | 統治領となった南洋諸島の測量開始 | 第1次大戦終結 | |
大正12年 | 震災復興事業 | 関東大震災 | |
大正13年(1924) | 基本図測量完成、翌年刊行完了 「明治成果」 | 東京三鷹の国立天文台に受信機を設置 海外の報時放送を受信し三鷹の経度を測定 | |
昭和4年 | 山岳図、スキー図等の「主題図」刊行 | ||
昭和6年 | 満州国での測量開始 | 満州事変 | |
昭和16年(1941) | 地図の販売停止 | 真珠湾攻撃 | |
昭和19年 | 疎開のため、貨車に資料を積載待機中に新宿駅で空襲にあい炎上 | ||
昭和20年(1945) | 陸軍解体にともない「地理調査所」発足(9月) | 終戦 | |
昭和21年 | 地理調査所 | GHQ指令により復旧事業に着手
測地基準点(1-3等三角点、水準点)の調査と復旧 カ−ドDB化、空中写真の利用などアメリカのノウハウを取り入れる |
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昭和23年 | 内務省廃止により地理調査所は建設省へ移管 |
南海地震の復興事業 地震予知のため基準点の定期的観測へ |
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昭和24年 | 測量法公布 4等三角点制定 | 見通し悪い場所では2等多角点で代用 | |
昭和26年 | 国土調査法制定 4等三角点設置へ | 食料増産のため各県ごとに地籍調査を実施するにあたり、境界画定に4等三角点測量 | |
昭和27年 | 平面直角座標系を導入 | サンフランシスコ講和条約に調印 | |
昭和29年 | 4等三角点に一連番号をつける | 登山ブーム「蟻のとまどい」 | |
昭和30年 | 屋上等の設置に便利な金属標の導入を決定(主に4等三角点)昭和33年制定 | ||
昭和34年 | 琉球測量法制定 琉球水準原点を設置 | ||
昭和35年 | 地理調査所から国土地理院に |
「国土基本図」計画策定(正式名称ではありません) 高度成長期を迎え、地図の需要増大 売り切れ続出 |
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昭和42年 | 国土地理院 | 1等三角点改測作業を完成 「昭和成果」 | |
昭和49年 | 精密基準網の設置、基準点の全面的改測へ | ||
昭和51年 | 位置決定に人工衛星を利用 | ||
昭和62年 | GPSの導入 | ||
平成3年 | 数値地図の刊行(FDベース) | ||
平成12年(2000) | スペースシャトルからの電波を利用した立体地図作成ミッションに参加 | ||